外灯に付けられた垂れ幕が風になびいて揺れている。そこに描かれているのは、トリエスティア王国の紋章だ。
トリエスティアは5つの地域――南のスール、北のノルテ、東のエステ、西のオエステ、中心にある王都シウダー――成る王政国家だ。最近では魔術で栄えており、魔術やその道具を手に入れようと国の外からやってくる人々も多い。
ここはシウダーの中でも東側に存在する城下通り、通称「オレンジロード」だ。夕日が綺麗に見えることからその名がつき、ちょっとした観光地にもなっている。ちょっとした商店街でもあるここは、いつでも活気があり賑わっていた。
賑わいのある通りを、1人の男が歩く。その目の前を横切った少年が、怯えた顔で足早に去っていった。それも気にせず――というより、見ること無く――男はまっすぐに歩いていく。
活気ある通り、オレンジロードには似つかない男だ。黒いスーツを身にまとい、眉間には深々とシワが刻まれている。そして何より、右目。右目には深い傷が穿たれ、目は閉じられていた。左目は刃のように鋭く、見るもの全てを睨めつけている。――といっても、本人は睨んでいるつもりはないのだが。
彼は通りの中に人影を見つけると、真っ直ぐにそちらへ歩いていった。銀色の癖毛を、特徴的な緑のリボンで結んだ青年だ。大股で近づくと、その腕をがっしりと掴んだ。
「うわっ」
青年は驚いたように声を上げる。咄嗟に振り向くと、男と目が合った。
「ろ、ロベルトさん」
「フレット、ちょっとこい」
フレットと呼ばれた青年を引きずるようにして、男――ロベルトは歩を進める。「うわわわ」と声をあげながら、フレットは体勢を整えた。
「ま、待ってください! 買い出しの途中だったんです、一旦荷物をっ」
抱えた紙袋から中身がこぼれないように抱えて、フレットはロベルトに訴える。ち、と柄の悪い舌打ちをして、
「わかった。……その後すぐに行くぞ」
男の表情を伺って、フレットはつぶやく。その隣を、配達のバイクが通り過ぎていった。エンジン音が言葉をかき消していく。
「ああ、そうだ。行くぞ『退治屋』」
フレットは頷いて、紙袋を抱え直した。
凄惨。その言葉がよく似合う場所だった。
真っ赤な血が辺り一面に飛び散り、路地を赤く染めている。固まってはいるものの、まだ鉄錆の臭いと死臭が漂っていた。ブルーシートで囲まれているからか、臭いがこもってくらくらしてくる。こんな出血量で死ぬなんて、よほどの死に方をしたに違いない。
ロベルトは少し眉を寄せるも、隣にいるフレットは眉1つ動かさなかった。……どっかに心を置いてきちまったんじゃないか、そう思わせるほどの冷静だ。
「これは、ひどいですね」
どの口が。
その言葉を飲み込んで、ロベルトは「ああ」とうなずいた。
「ここまで出血が多いとなると、被害者は即死だったのでは?」
「ああ。写真、みるか」
ロベルトの言葉に、フレットはうなずく。写真を手渡しても、フレットは表情を変えなかった。
写真に映っていたのは、惨たらしい遺体だった。腕と足が千切れかけ、腹は割かれ中の物が零れ落ちている。死に際に苦痛を感じたのだろう、苦悶の表情を浮かべていた。
「被害者は、オレンジロードの?」
写真を見ながら、フレットは問う。ロベルトはスーツのポケットから手帳を取り出すと、その中を見ながら答えた。
「この辺りで飲んでいた男性だそうだ。ここから少し行った、昼からやってるバーの店主がこの男を見ている。」
フレットがちらりと手帳を覗き込む。普段の粗暴さからはかけ離れた、見易く整理された手帳だ。
「第一発見者は?」
「ここの家の住人だ。朝ふと見たら血だらけで、慌てて通報したらしい」
遺体を直接目にしなかったことが幸いだっただろう。こんな遺体を目にしていたら嘔吐の1つでもしかねない。……現場が汚れなくて済んだ。
話を聞きながら、フレットは現場を見て回る。どこを歩いても血液を踏んでしまいそうだ。慎重に歩を進めると、一箇所、足跡が残っていた。
「ロベルトさん、この足跡は?」
そう聞くと、ロベルトは苦々しい顔をした。ああ、と低い声で答える。
「うちの新人が間違って踏んだ跡だ。ったく、あれほど現場を汚すなと……」
ああ、彼か。合点がいったようにフレットは苦笑いする。彼はたしかにそそっかしい新人だった。名前はたしかケビン。「ごめんなさいすう!」と涙目でロベルトに謝り何度も頭を下げる姿が目に浮かぶ。
足跡を見ていると、ふと、フレットは何かに気付いたように目を細めた。足跡に削られたのか、その下になにか見える。「ロベルトさん」と名前を呼ぶ。
「今回ばかりは、彼のファインプレーかも。……ここ」
フレットが指差した場所をロベルトも見る。
足跡の奥に、オレンジ色の塊が見えた。それに気付いた瞬間、ロベルトはすばやくポケットから何かを取り出した。簡易的な試験管でそれを削り取る。
「……こりゃ、幽魔か」
ロベルトの言葉に、「おそらく」とフレットもうなずく。ロベルトは手帳を一度ポケットにしまうと、代わりになにか装置のようなものを取り出した。小型化されたそれに、試験管の中身をセットした。
スイッチを押し、反応が出るのを待つ。しかし、返ってきたのはピーピーという電子音と、「E:8」の文字だった。
「あ? なんだ、壊れてんのか」
装置をいじりながら、ロベルトは小さく下を打つ。フレットは装置を覗き込み、小さな画面の中の文字を見た。
「乾いてるから正常に動かないんですかね?」
あるいは、と。考えながら言う。
「装置では判別できない特殊なケースかも……?」
2人の脳裏に、同時に1人の青年の姿が浮かんだ。こういうケースの場合、頼る先は1つだ。ち、と。またロベルトが舌打ちした。
「結局あいつに頼まなきゃならねえのか」
心底不満だ、と言いたげにロベルトは言う。フレットは「まあまあ」とロベルトをなだめながら言った。
「どちらにせよ、魔力コードの特定ができないのなら頼るほかありませんから」
まだ乾いた血が残る試験管を透明な袋に入れ、ロベルトはフレットに押し付ける。持っていけ、ということらしい。たしかに、ロベルトとジェイクは相性が悪い。自分が行った方がいいだろう。
「じゃあ、俺はジェイクにこれを渡しに行きます」
袋に入った試験管をポケットに入れ、苦笑のまま言う。ロベルトは眉に深く皺を刻んだままうなずいた。
「俺ももう少しこの近辺を洗ってみる」
ロベルトが言ったところで、路地の入り口で呼ぶ声がした。そちらを見れば、見知った顔が手を振っているのが見えた。「今行く!」と伝えて、フレットは路地裏を後にした。