襲撃

 森の中に、鼻歌が響いていた。

 森の中の小屋を1つ借りることができたローレルは、そこにしばらく身をおくことにした。今日は森の中で鹿の一匹でも獲って、しばらくの食料を確保する算段だった。

 首尾よく鹿を取ることが出来、解体まで済ませたローレルは上機嫌だった。ふんふんと調子の外れた鼻歌は、ヒューレの子どもたちがよく歌う歌だ。

「草木よ伸びろ、すくすく育て。空樹よ見守りたまえ、僕らの道を……っと」

 ぱきり、と何かを踏み、ローレルは立ち止まった。

 足元に、焦げ落ちた枝が落ちている。どうやら薪の跡のようだ。旅人でも、ここいらで野宿したらしい。ローレルは辺りを見回して、その考えを即座に捨てた。

 木々の幹に、いくつも跡が残っている。まっすぐな線は、刃かなにかで斬った跡だ。

 食い散らかされた動物たちの骨。女物の服の切れ端まである。これはつまり。

 ローレルはその場から去ると、まっすぐチェルルの町へと向かった。


 集中できないから、アーベントはお店にいてください。

 アリアドネにそう言われては、アーベントもそうせざるを得ない。アリアドネが針仕事を教わっている間、アーベントは家にいることになった。

 薬草を干し、薬を作っていると、ふと蹄の音を聞いた気がした。商人か、旅人か。この町にやってきたらしい。

 あれから、空樹の枝たちがチェルルに来ることはなかった。諦めたのか、それとも別の策を練っているのか。それはわからないが、騎士団の本拠地と森を挟んですぐそこなこの場所にいる限りは安全かもしれない。

 呑気に考えながら薬草を刻んでいると、戸が開いた音が聞こえた。顔を上げて開いた戸を見る。

「こんにちは。良い日和ですね、アーベント様」

 鎧を着ていないため、一瞬誰かわからなかった。

 町の人間と変わらぬ服を着ているのは、たしかアインレーラの部下。ニアとかいう男だ。

「……ニア、だったか。どうかしたのか」

「少しお話に」

 ニアに椅子を進めて、刻んだ葉を袋に詰める。刃についた細かい葉を拭って、アーベントはニアを見た。

「空樹の枝が、俺たちを探しているのか?」

「いいえ、もっと厄介な相手に勘付かれました」

 軟派そうな笑みを消し、ニアは真剣にこちらを見る。アーベントは椅子に座ると、「誰だ」と話を促した。

「シニセス王です」

 ざああ、と。自分の体から血の気が引いていく音が聞こえた。冷たくなった指先で、どうにか煙草を取り出す。

「……アインレーラがしくじったのか」

 ニアは表情を曇らせて、「申し訳ない」と絞り出すように言った。

「まさか、あいつ死んだんじゃ」

「いいえ、生きております。……少々、立場が不安定になってしまわれたが」

 沈黙が落ちる。煙草に火をつけて、煙を吐いた。煙草の香りが肺に満ちて、幾分か落ち着きが戻ってくる。

「とにかく、いつでも逃げられるようご準備を」

 ニアの言葉に、アーベントは「わかった」とうなずいた。

「お前はどうするんだ」

「私はしばらく近辺で情報を集めます」

 ニアがそう言ったところで、また戸が開く音がした。

 見れば、戸を開けてアリアドネがこちらを見ていた。「ニア様?」と、アリアドネが驚いたように名前を呼ぶ。

「これはこれは、アリアドネ様。ご機嫌麗しゅう」

 ニアは椅子から立ち上がると、にこやかに頭を下げた。アリアドネが戸惑ったように、「は、はい」と返す。

「ああ、今日もアリアドネ様は輝いてらっしゃる。太陽すらも霞むほどです」

 大層な口説き文句だ。案の定、アリアドネは目を白黒させている。

「……騎士っつーのは、女を口説かなきゃ生きていけねえのかよ」

 アーベントの言葉に、ニアは笑って答えた。

「ええ、騎士はそういう生き物です」

 夕刻。陽の光はすっかりと金色に染められ、疲れ顔の太陽は西の方へと傾きつつある。 アリアドネは炉を使い、夕飯の支度をしていた。今日は1人でやってみるか? というアーベントの言葉に、嬉しそうにうなずいたのはアリアドネだった。教えたとおりの順序で夕飯を作っているアリアドネを、アーベントが見守っていた。

 戸が開かれたのは、そんなときだった。ゆっくりとアーベントが戸を振り向くと、2人、男が立っている。……ニアとローレルだった。

「アーベント様、少々事情が変わりました」

 ニアが真剣な顔で言う。その隣にいるローレルは、いつもの呑気そうな顔とは違い、真剣そうだ。

「……思ったよりも早く来やがったか」

「そのようです。しかも、彼らは……」

 ニアの言葉を遮って、ローレルが言った。

「山賊が近づいてるぜ。あの痕跡は間違いねえ。……アーベントお前、ほんっと厄介事に首突っ込んだな」

 うるせえ、と言いつつ、アーベントは煙草に手をのばす。ランプの火で煙草に火をつけると、煙をゆっくりと吐いた。

「……こっちにやつらが着くまで、どのくらいよ」

「日が沈んだら襲う気でいるのでしょう。近くで時間を稼いでいるのを、偵察が見つけました」

 日が沈んだら。……まだ猶予はある。

「アリアドネ、お前は飯作って食ったらここを動くなよ。……俺は町長の家に行ってくる」

 まずは何をするにも、食べなければ。

 アリアドネは小さくうなずいて、鍋の中をかき回した。

 夕飯はもう少しでできるところだった。


 煌々と踊る松明。下卑た声。

 夜に沈んだチェルルの町の平穏を崩したのは、そんな山賊たちの騒がしい声だった。

 町とはいえ、小さいチェルルだ。腕に覚えがあるものはそこまでいない。しかし、ある者は斧を、ある者はただの棒切れを掴んで、町の男たちが外に出てきた。

「おい、この町の長は誰だ!」

 そう叫んだのは、山賊の中でも一番体格の大きい男だった。腰にはおんぼろの剣があり、よく使い込まれている。その他の山賊たちも、皆斧や鎌などを提げていた。

「はい、町の長は私でございます。……これはいったい、何の騒ぎでしょう?」

 武器を提げた男たちの中から、老いた男が現れた。彼がチェルルの長だ。彼は山賊たちの前に恐れることもなく立つと、山賊たちを見上げた。

「お前か。なら聞きてえことがある」

「はい、はい。何なりと、聞くことならできます」

 山賊たちは一度、町をぐるりと見渡す。窓からは、家の中にいる女たちが不安げにこちらを覗き込んでいた。子供の姿もある。

「アリアドネ、っつー娘がいるはずだ。そいつはどこだ」

 町がざわついた。アリアドネという名前の娘は、実を言うとチェルルには1人しかいない。……アーベントのところにいる、最近来た娘だ。

 その中の、1人だけ剣を提げた男。町の男に混じっていたニアは、援軍を待っていた。チェルルにいる騎士団は3人。やってきた山賊たちは10人ほど。さすがにこの人数で山賊たちに敵うと思うほど、騎士団は己の腕を過信してはいない。

 思ったよりも早い襲撃だった。つまり、アインレーラが王に呼び出される以前から、仕組んでいたとしか思えない。

「おいおい、誰も答えちゃくれねえのかあ? まあいい、いるこたわかってんだ。見つかるまで、家を燃やしてお前らを殺せばいいんだからな」

 山賊たちが武器を抜いた、その時だった。

「いるぜ、アリアドネって名前の娘ならな」

 男が1人、声を上げた。そのまま彼は、武器を提げず丸腰で、男たちをかき分け前に出る。

 布を巻いた男だった。アーベント、と。男たちが彼の名前を呼んだ。

「ほう? そいつはどこだ」

「教えてやってもいいが、お前らそいつをどうする気だ? アリアドネなんつー名前の娘だったら、この国のどこにでもいるだろうが」

 はっ、と。山賊は笑った。自分と同じ程の背だが、体格は細いほうだ。しかも、丸腰。この男を殺れば、威嚇になる。

「売るんだよ、しかも大枚はたいてくれるいい客にな。そこをどくか、場所を教えろ。さもねえと」

「殺す、ってか?」

 アーベントの声が、すっと低くなった。町の誰もが聞いたことのない声に、男たちはざわめく。

 アーベントは町長に下がらせると、また一歩、前に出た。空色の瞳が、山賊たちをにらみつける。怒気を含んだ瞳だった。

「あまり殺生は好まねえ。俺は争い事は苦手でな」

 だから、と。アーベントは懐から何かを取り出した。それは、白い小さな袋。中には、何か種のようなものが入っている。それを数粒ほど握ると。自分の後ろにばらまいた。

「お引取り願おうか、山賊共」

 アーベントがそう言った、その瞬間。種はまたたく間に木々に成長した。まるで、山賊たちから町の人々を守る盾のように。

 次にざわめいたのは、山賊たちの方だった。彼らを見ながら、アーベントは自分の頭に巻かれた布に手をかけた。ばさり、と、彼の肩に髪が落ちる。

 深い、夏の木々と同じ緑色の髪が、風に揺れた。

「我が名はアーベント。誇り高きヒューレの民にして、ベルレの大空樹より加護を受けし者! この町を襲いたくば、まず俺を殺してから先に進め!」

 声が、夜の空に響いていく。

 ヒューレなど、ましてや空樹の加護など見たことのない山賊たちは、目の前の光景を受け止めきれずにいた。一歩、また一歩と、後ずさっていく。

 そこに、蹄の音が届いた。

 馬の嘶く声が聞こえる。山賊たちが振り返ると、そこにあったのは、松明に煌々と照らされる騎士団の旗だった。

「我らは騎士団! このネフリティス王国の秩序を守る者!」

 やってきた騎士団たちは、ざっと見ても20人はいる。ヒューレの力、そしてやってきた騎士団。それらにすっかり戦意を奪われた山賊たちは、震える声で言った。

「……逃げろ!」

 まるでアーベントを化物を見るような目で見て、彼らは去っていく。それを、馬に乗った騎士団たちが追いかけて行った。

 生やした木に手を置き、「すまんな」と小さくつぶやく。木々はその瞬間、あっという間に朽ちてただの砂となった。

 町の男たちと目が合う。深い緑の髪を揺らしながら、アーベントは言った。

「……心配しなくても、すぐに出ていくさ」

 呆気に取られた表情の彼らをかき分けて、アーベントは家へと向かう。

 深い溜め息が、風に乗って消えていった。


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