ある夕方の話

 その部屋には、多くの物が詰め込まれていた。

 コンクリートが打ちっぱなしになっている壁には、額縁に入った絵画や写真が無数に飾られている。たまに新聞や雑誌の切りぬきがそのままテープで止められていることもあった。

 その足元には、無数の”体”が投げ出されていた。白い腕や脚、まだ髪の植え付けられていない頭、胴体。それらは全て人形のパーツだ。

 無機質で大きな作業台の前には、色彩鮮やかな男が立っていた。ピンクに染められた髪に、赤地に白抜きのアロハシャツという派手な出で立ち。それは彼のトレードマークであり、鎧であることも知っている。

「相変わらず、悪趣味な部屋だよなあ」

 伍葉は部屋の中を見回し、そう呟いた。しんと静まり返った部屋では、そう大きな声量で言ったはずのない声もよく響く。そう言うなよ、と苦笑混じりの声が聞こえた。

 作業台に向かう彼は、伍葉の高校からの親友、尾形成海だ。彼の生業はいくつかあるが、その中でも彼が命を懸けているものが『人形師』であることを伍葉は知っている。

 作業台の上には、素裸の女性が横たわっていた。その体は白い木材を削ってできたもので、間接は球体をしていた。目玉があるはずの場所は空洞で、虚ろな闇だけがそこにある。表情を一切浮かべないまま、彼女は虚空を見つめていた。

 成海は彼女の腕を少し動かすと、「違うな」と一言呟いた。そのまま、彼女の腕を躊躇いなく外してみせる。かこん。軽い音が響いた。

「……痛そう」

「あはは。痛かねえよ、痛くねえように優しくしたからさ」

 からからと笑ってから、成海は「それに」と続ける。

「こいつは人形なんだから」

 それはわかっている。否、わかっているつもりだ。

 だが、精巧に作られたそれはいつ見ても人形とは思えず、まるで人のようだと思う。今にも口を開き、腕を外したことを咎めそうだ。痛いです。もっと優しくしてくれませんか? ……と。

 作業台の彼女を見つめる伍葉の視線を知ってか、成海は腕についた球体間接を紙ヤスリで磨きながら口を開いた。

「人形に魂は宿ると思うか?」

 彼は、人形師である前に、魔術師だ。神を殺す者たち、その中の1人。それ故なのか、たまにこうやって、呟くことがある。

「さあ。……そういう魔術はねえのかよ」

「んー、まああるかもな。俺が知らないってだけで『ない』と断じるのもおかしな話だ」

 ざり、ざり、と。紙ヤスリが木を削る音が響く。伍葉はその辺りにあった木箱を引き寄せ、その上に座った。

「人形に魂は宿るのか、それとも宿らないのか。その前に、魂ってもんはなんだろうな?」

 魂は存在する。それは大前提だ。それは間違いなく存在し、自分達の体の中のどこかに眠っている。

「俺たちの体には確実に『魂』が存在する。それはどこにあるのか、それは一旦置いておこう。問題はな、『いつそれが生まれるのか』だ。人間の始まりは、精子と卵子が組み上げたひとつの細胞だ。それが分裂を繰り返し、やがては人の形を編んでいく。それが母親の腹の中進んでいくわけだ。側の誕生はたしかにそうなんだろう。だが中身は? 魂はいつ生まれる? 細胞のうちから生まれるのか、それとも人の形ができあがったときに生まれるのか。はたまた、母親の腹から引きずり出されて、泣き声を上げたときに生まれるのか」

 金属の音が響く。成海がライターで煙草に火をつけた。ハイライトの香りがふわりと広がっていく。

「俺はな、こう思う」

 煙と一緒に長く長く息を吐いてから、成海は言った。

「魂は作れるもんだ」

 突拍子もないことを、こいつは平気で口にする。溜め息を吐いて、「そりゃねえだろ」と伍葉は半ば呟くように言った。

 くく、と成海が笑う。

「まあ、流石に本物は無理だぜ? だが、本物の魂なのか、それとも偽物の魂なのか。そんなものはな、ちっぽけな問題なんだよ」

 吸い殻が山のように積み上がった灰皿に、成海は灰を落とす。赤い灰が灰皿に落ちて、冷えて白く変わった。

「例えば、アンドロイド。人形にパソコンぶちこんだ、言わば人形の上位互換だな。すでに、感情をプログラミングしたアンドロイドを作れる技術はどこかで確立してるらしい。俺たちの言動、物事の推移。それらを正確に判断し、正しいと算出された感情を吐き出して見せる。喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむ。喜怒哀楽を持つそのアンドロイドは、だが、全てをプログラムされているに過ぎない。0と1が、そして組み込まれた機巧がそれを生み出している。……そこに、『魂』はあるのか? それとも、ないのか?

 それを断じるのは本人じゃねえ、端で見ている俺たちさ。ある者は魂は存在すると言い、ある者はそんなもの存在しないと言う。腹割りゃわかるってもんじゃねえのに、俺たち人間はつまらねえもんをあーだこーだ言いたがるものだしな。

 …… まあとにかく、そこに魂はあるとしても、ないとしても。そいつは綺麗な簪をプレゼントしてやれば喜んでくれる。趣味に合わなきゃ微妙な顔をしてくれるだろう。それを髪に飾った姿を見て、似合わないなんて言えば、怒るか、悲しむかしてくれるはずだ。

 まるで1人の人間を相手するようだろう? 相手の魂はどうなっていようが、満足はできるはずだ。そこになんの問題がある?」

 言葉を区切り、再び長く息を吐いた。

 感情の有無を『魂』と呼ぶのなら、そのアンドロイドにはたしかにそれが宿っているのかもしれない。だが、それ以外の物事も、それが『魂』と呼ぶにふさわしいかを左右するだろう。感情の有無だけで判断できるものではない。

 しかし、感情を持つそのアンドロイドを、それしか持たないという理由で「無い」と断じることはできるのだろうか?

「……俺が言った『人形の美学三原則』を覚えてるか?」

 フィルター近くまで灰になったシガレットを灰皿に押し付け、火を消す。そして新しい煙草に火をつけながら、成海はそう聞いた。

 成海に、『人形の美学三原則』は聞いたことがある。たしか……

「笑わない、動かない、喋らない……だったか」

「exactly」

 指を鳴らしながら成海はそう笑った。

「人形が美しいのは、笑ったり、動いたり、喋ったりしねえからだ。俺はたしかにそう言った。けれどこれはな、笑ったり動いたり喋ったりしたら、『人形じゃなくなる』からでもあるんだぜ?」

 伍葉は少しだけ首を傾げて、「どういうことだ?」と呟いた。

 笑ったり動いたり喋ったり。そのような動きをしても、人形は人形のままのはずだ。それは変わらない事実。

 ふ、と。成海は苦笑を浮かべた。

「俺はな。……1度、そういう人形を作ったことがある」

 目を少し見開いて、伍葉は成海を見た。

 成海が作る人形は、いつもその『三原則』を守るものだった。それ以外は見たことがない。

「1人目のヴィオレットがそうだった」

 動きを止めた。

 ヴィオレット。それは成海の死んだ妻、尾形菫花をモデルとした人形だ。……今、成海が作業台に乗せている彼女もまた、何人目かのヴィオレットだった。

「菫花が死んで、半年たった頃合いだった。俺は持てる技術と知識全てを使い、自動人形を作り上げた。歯車と部品だけが織り成す人形、魔術はちっとも使っちゃない。……けれどな、彼女を動かしたとき、俺は思ったんだよ」

 長くなった灰が、コンクリートの床に落ちた。

「作っちゃいけねえものを、作っちまった」

 今でも鮮明に浮かぶよ。そう、薄く笑って成海は言った。

 亜麻色の髪を揺らして、彼女は起き上がった。隣にいる成海を、黒い瞳が見つめる。そして、笑ったのだ。

「おはよう、成海さん」

 常人をとっくに追い越した思考スピードでそれを処理し、成海は崩れ落ちた。

「菫花そっくりの、菫花と同じ笑い方、喋り方をする人形だ。前と同じようにからかえば、前と同じように膨れる。……だがそれは菫花とは言えるのか?

 全く同じものを作れる。俺たちと寸分違わぬ『生き物のような人形』を。……つまらねえ道徳や倫理観抜きに言うぜ。

 それは生き物を、魂を作るのと何が違う?」

 古来より、こう言われてきた。「人の形をしたものには魔が宿る」……言い伝えとしても、そして、それを知らない者たちも、無意識のうちにそれに思い至る。着せ替え人形を無下に扱えないように、飾られたフランス人形がこちらを見ているように感じるように。

「もし人と寸分違わぬ人形があれば、要らない感情がそこに生まれる。そこに生まれた感情は、人形に向けるそれじゃねえ。人に向けるものだ。……人形は、『人』とかけ離れているから美しいんだ。人形を人形のまま愛でるのであれば、人から遠ざけなければならない」

 そして生まれたのが、『人形の美学三原則』だった。

 人形の腕をはめ直したところで、階上から音が聞こえた。名前を呼ぶ声がする。どうやら同居人が帰ってきたらしい。

「さて、この話はやめにすっか。オーガストが聞いたら頭パンクしちまいそうだ」

 新しい煙草をくわえながら、成海はくくと笑う。

 台上に横たわるヴィオレットを見て、伍葉はこう聞いた。

「この人形に、魂は宿るか?」

 成海は振り返りながら、笑った。

「例え宿ったとしても、俺にはわからない」

 動くようにも、喋るようにも。

 笑うようにも、作られていないのだから。


小難しい話を長文セリフで延々と話す成海が書きたかったもの。

お借りしたキャラクター:伊賀崎伍葉、オーガスト(名称のみ)